2009年10月29日

携帯サイト デザイン更新

「予には悪癖があって咽から手が出る程欲しい読みたい本でも、装丁が非道いとどうしても買う気持ちにならず、友人に借りてすますのを常とするのである」
−日夏耿之介『美しき書籍の話』

Fonthill_Abbey_for_Mobile

最近は携帯電話で弊ブログを閲覧される方も多いようで、とても有難いことだ。

以前からサエなかった携帯用サイトのデザインを、PCサイトのデザインカラーに合わせて刷新した。PCサイトのアドレスで携帯用サイトに勝手に誘導される。

デザインが酷いと読む気も起きないからね。


※一部機種では表示が崩れる場合があります。
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2009年10月23日

『迷宮への招待 エッシャー展』

Escher's Fall

淀川の修復工事や龍翔小学校の設計に能った土木技師、ジョージ・アーノルド・エッシャーの息子であるM・C・エッシャーは、生来幾何が好きだったのだろう。

エッシャーに影響を与えた不可能図形であるペンローズの三角形は、製図屋を生業としていた私が見ると、等角投影図法(※)の一寸した応用だということが判る。

しかしエッシャーを画家足らんとしているのは、単なる幾何学のアイデアだけではなく、作品にエキゾチックで憂愁の漂うイメージを乗せる才能に優れていたからではなかろうか。

『迷宮への招待 エッシャー展』はそごう美術館(横浜駅東口)にて。11月16日(月)迄。

※製図屋はこれをアイソメ図などと言う。アイソメトリック図法(isometric drawing)の略である。


■『迷宮への招待 エッシャー展』 そごう美術館(横浜駅東口)
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2009年10月22日

『ベルギー幻想美術館』展

デルヴォーは、心のなかの広い郊外を支配する、唯だひとりの、しかもつねに同じ女の王国をつくりだしていて、そこではフランドルの古い風車が真珠の頸飾りを鉱石の光のなかで回わしているのだ。
−アンドレ・ブルトン 瀧口修造:譯

ベルギー幻想美術館

デルヴォーの絵に大きな心の拡がりのようなものを感じるのは何故だろうか。まるで額縁を窓枠として、外を覗いているようだ。ある種の「精神の解放」と云ってもいい。
ジュール・ヴェルヌを長く愛読したデルヴォーは、常に夢の中でボヘミアンとしての景色を求めていたのかも知れない。

対し、クノップフの絵は非常に閉塞的だ。それはクリスティナ・ロセッティの詩の一節を題にとった作品『彼女は自分で自分に鍵を掛ける』を見ても顕著であろう。尤も此れは「閉塞による自己解放」ではあるが。

そんな対称的で共通点をも持つ、2人の画家の作品が見られる『ベルギー幻想美術館』展は、Bunkamuraザ・ミュージアムで開催中。10/25(日)迄。


■『ベルギー幻想美術館』 Bunkamuraザ・ミュージアム
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2009年10月21日

『大乱歩展』

それから矢張り同氏の作にかかる「D坂の殺人」「二銭銅貨」なぞを、作者の力に引き付けられて次から次に読みは読みながら、構想や行文の苦心が一つ残らず西洋人の模倣に見えて仕様がありませんでしたので、巻を蔽うと同時に、二度と読む気がしなくなったものでした。そうして、
「江戸川乱歩は要するにエドガア、アラン、ポーに対するエドガワ、ランポに過ないのかナ」
なぞと思い思いした事でした。

ところが、私のこうした乱歩氏に対する失望感は、同氏の「白昼夢」を読むと同時に、あとかたもなく引っくり返ってしまったのでした。
−夢野久作『江戸川乱歩氏に対する私の感想 』

image_01.jpg

「神奈川近代文学館にて『大乱歩展』が開催中ですよ」
と、リンク先のmay.Oさんから連絡を頂いたのは、今月の始めだったろうか。

Googleをポータルサイトとして利用している諸氏なら御存じの通り、本日は乱歩の誕生日である。

明智小五郎の探偵小説も悪くないが、私が好むのは乱歩の初期の秀作『白昼夢』だろうか。ピグマリオニズムとネクロフィリアが色濃く漂う作品だ。読後、デパアトのマネキンと眼を合わせるのが、空恐ろしい。

冒頭でも紹介した『大乱歩展』は、11/25(日)迄。


■『大乱歩展』 神奈川近代文学館
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2009年07月24日

河童忌

 玲瓏、明透、その文、その質、名玉山海を照らせる君よ。溽暑蒸濁の夏を背きて、冷々然として獨り涼しく逝きたまひぬ。倏忽にして巨星天に在り。光を翰林に曳きて永久に消えず。然りとは雖も、生前手をとりて親しかりし時だに、その容を見るに飽かず、その聲を聞くをたらずとせし、われら、君なき今を奈何せむ。おもひ秋深く、露は涙の如し。月を見て、面影に代ゆべくは、誰かまた哀別離苦を言ふものぞ。高き靈よ、須臾の間も還れ、地に。君にあこがるゝもの、愛らしく賢き遺兒たちと、温優貞淑なる令夫人とのみにあらざるなり。
 辭つたなきを羞ぢつゝ、謹で微衷をのぶ。
−泉鏡花『芥川龍之介氏を弔ふ』

バルタザアル.jpg

河童忌。今日は芥川龍之介の命日である。

菊池寛も『芥川の事ども』の中で述べているように、何が芥川を死に追い立てたのか等という野暮な詮索は此処では止そうと思う。

叔父の遺した蔵書から、芥川によるアナトール・フランスの見事な翻訳(※)が見つかったので、今日は之れでも読んでこの潔癖な作家を悼むのが良いだろう。

※『バルタザアル』を譯した時の筆名は「柳川隆之助」


■『バルタザアル』 譯:芥川龍之介 青空文庫
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2009年02月20日

バロック・ヴァイオリン

バロックヴァイオリン

「少しの間問屋さんから楽器を御借りしたので、是非観にいらっしゃいませんか?」
馴染みの楽器店の技術者さんからそんな連絡があったので、仕事の帰りに道草がてら観に行くと、其れはバロック・ヴァイオリンだった。

「私も個人的に興味がありましてネ。」
と恭しくケースから取り出して私に手渡した。折角なので私は弓を張り、肩当ても顎当ても付いていないその楽器を顎の下へ挟み込み、そおッと弓を引いてみた。
すると何とも柔らかい音色ではないか。私は改めて調弦をして当たり障りのない、バッハの曲を少しだけ試奏させてもらった。

今バロック・ヴァイオリンと書いたが、正確にはバロックモデルのヴァイオリンである。近代制作され古楽を趣味とする人が持つ物だ。其れにしてもモダン・ヴァイオリンと随分違う。ネックは太いし、指板は短いし、駒は高く、胴の膨らみは大きい。全体的にゴツいのだ。モダンvnが華奢にさえ感じてしまう。その上顎当ても無いので、力一杯挟んでもするすると滑っていく。モダンvnとは明らかに違う構え方、奏法でなければならないようだ。

モダンヴァイオリン
▲私が普段使用するモダンvn。指板の長さの違いがお解りだろうか。

最近の著名な演奏家が持つストラディバリだのアマティだのは、モダン仕様というやつで、改造を重ねられ制作当時の原型は留めてないのが殆どである。此れを少々勿体無いと思ってしまうのは私だけではないだろう。

「バロックモデルとしては破格ですよ。」
と技術者さんは、ににッと私に微笑みかけたが、
「いやァ、モダンvnさえ未だまともに弾けていませんしネ…。貴重な体験をさせて戴きました。」
等と言って御茶を濁し、私はソソクサとその場を後にした。


■鳴るほど♪楽器解体全書:バイオリンの歴史と構造 −YAMAHA
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2009年02月18日

『ゴールドベルク変奏曲』オルガン編曲版

ゴールドベルク変奏曲(オルガン編曲版)

こんな面白い編曲もあるものだな、と思った。

友人と待ち合わせをしている間に一寸時間があったので、戯れに入った中古CDショップの棚に其れは有った。余りにも有名な『ゴールドベルク変奏曲』。手に取ってみるとどうやらパイプオルガンの編曲版のようである。「まァ、500円程度ならハズレでもそんなに悲観することもないだろう。」と思い、グールドの初期録音集(こちらは900円チョットだった)と一緒に購入し、聴いてみた。

「眠る」には些かヤカマしいかもしれないが、パイプオルガン特有の音の伸びと広がりがあって中々良い。オルガンはピアノやチェンバロと違って音が減衰しない為だ。

いつだったか『平均律クラヴィーア曲集』をヴァイオリンで弾こうとした時に、知り合いのチャーチオルガニストの方が私にこんなアドバイスをくれた記憶がある。
「本来の楽器の為に書かれた曲を別の楽器で弾くときは、元の楽器の特性に近い様に弾くか、或いは自分の楽器の特性を生かして弾くかの2通りになるんじゃないかしら。」
ピアノのタッチに似せた音色を出すには技量不足だったし、弦楽器の編曲譜が有ったので結局ヴァイオリンの特性を生かして弾くことにしたのだが、其れは兎も角、此のCDは後者に当てはまる。

バッハの曲だからこそオルガンで弾いてもあまり違和感を感じないのかもしれない。特にクライマックスである第30変奏のquodlibet(クォドリベット)は圧巻。カイザーリンク伯も草葉の蔭から目を覚ますかもしれない。


■『ゴールドベルク変奏曲』(Org. エレーナ・バルシャイ) −Brilliant Classics
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2009年01月21日

リンク先紹介

久し振りのリンク先紹介。


■NEBEN LETZTEN LIEDES …私の良き文芸の知己であるmay.O女史のHP。女史曰く「酔生夢死の迷走と其の顛末」。しかし傍目の透明感に侮る勿れ。アプサント酒のように喉を焼き、強き香りに酩酊すること心されたし!

※携帯サイトなので、PCから閲覧する場合はSleipnir等のUAの変更可能なブラウザをお勧めする。


■Sleipnir 2.8.4
posted by Usher at 23:02| Comment(2) | TrackBack(0) | the other | 更新情報をチェックする

2009年01月16日

福田繁雄氏を悼む

物質のメタモルフォーズはすべて、垂直の失墜に関係づけられている。
−ルネ・パスロン

『ボンジュール・マドモアゼル』

日本のエッシャーとして親しまれ、個人的にも大好きであったデザイナー、福田繁雄氏が今月11日亡くなられた。享年76歳。

肩肘張らずに楽しめる視覚的芸術作品の数々は、今尚人々を魅了する。

慎んでお悔やみ申し上げます。


■遊び心生かしたグラフィックデザイナー福田繁雄さん死去 −YOMIURI ONLINE
■福田繁雄 −Wikipedia
■M.C.エッシャー −視覚の魔術師 (弊ブログ関連記事)
posted by Usher at 23:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 美術 | 更新情報をチェックする

2009年01月15日

『神曲』譯文アレコレ

價を論ずれども成らざりしかば、思ひあきらめて立ち去らんとしたる時、一書の題簽(だいせん)に「ヂヰナ、コメヂア、ヂ、ダンテ」(ダンテが神曲)と云へるあるを見出しつ。嗚呼、これこそは我がために、善惡二途の知識の木になりたる、禁斷の果(このみ)なれ。
−アンデルセン 森鴎外:譯『即興詩人』

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古代ローマ詩人ウェルギリウスに導かれ地獄を遍歴し、煉獄山を登ってやがて昇天して行く。
詩聖ダンテの一大叙事詩『ディヴィナ・コメディア』に付いては、聡明な読者諸氏なら今更説明も要らないだろう。

現在入手し易い『神曲』は、山川丙三郎譯の岩波文庫か平川祐弘譯の河出書房新社、或いは寿岳文章譯の集英社文庫といったところだろうか。(此の内、山川譯は青空文庫で閲覧可。)

山川譯は名譯ながら文語調で些か古いと思われるなら、平川譯か寿岳譯が良いだろう。また美術書として愉しみたいのであれば、ギュスターヴ・ドレの挿画が全て載ったデザイン性も高い谷口江里也譯、アルケミア版を薦めたい(絶版)。但し谷口譯は抄譯であるから、上田敏著『詩聖ダンテ』を併せて読むのもいいかも知れない。抄譯には抄譯というわけである。

『神曲』 アルケミア版
▲アルケミア版『神曲』。カバーを外すと黒い表紙が現れ。天、地、小口は金塗りの装飾。祈祷書もかくやとばかり。

アンデルセンに『即興詩人』の主人公アントニオをもって「禁断の果実」と云わせしめた『神曲』は、おどろおどろしい映画やサスペンスドラマの小道具ではない。『Commedia (喜劇)』の名の通り、恋情と哲学と寓意、そして人間への生命讃歌なのではなかろうか。


■『神曲』 譯:山川丙三郎 青空文庫
■『神曲』 譯:寿岳文章  集英社文庫ヘリテージ
posted by Usher at 23:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 文学 | 更新情報をチェックする